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■ 神社紹介
神社名: 鹿島神社(菅谷鹿島神社)
祭 神: 武甕槌大神(タケミカツチノオオカミ)
鎮座地: 茨城県那珂市菅谷2345
建 物: 本殿・拝殿(鹿島神宮に習い、共に北向き)・神輿殿・手水舎・社務所・古札納所ほか
宝物類:
・徳川斉昭公(水戸藩主で、最後の将軍徳川慶喜の父)の神社名 謹書(絹地)及び、社名額
・御神刀「刀鍛冶 藤原祐光作」・・・・8/15の大助祭(中祭以上)にのみ人目に触れる(重量4.7kg・長さ
134cm・最大幅5.5cm・最大厚1.5cm)
・三十六歌仙額(縦72cm・横36cm)36面 吉川愛連斎・文窓 作
文久2年西暦1862年(現在町指定有形文化財)
・絵馬「平清盛重盛諫言の図」
・神輿3基(内1基は6角で稀少) など
境内社: 金刀比羅神社・熊野神社・稲荷神社・弁天社など
石 碑: 茨城百景の碑・忠魂碑(戦没者慰霊之碑)
その他:
・境内の生物たち(野鳥編)
■ 沿革
大同年間(西暦806〜810年):
−今の那珂市菅谷字両宮(上菅谷駅近くの、宮の池ほとり)に創建される。
貞観2年(西暦860年) :
−神霊を今の那珂市杉(鹿島神社)に分かつと云う(福田春日神社文献)。
天喜5年(西暦1057年):
−源頼義が前9年の役の時、勝利の御礼に社を菅(チガヤ)で葺き、寄進したのが「菅谷」と云う地名の起 こりと言い伝えられる。
慶長年間(西暦1596〜1615):
−佐竹義宣公が同地に八幡神社を祀り両宮の名が起こったと伝えられる。
元禄9年(西暦1696年):
−徳川光圀公が八幡神社を廃し、鹿島明神だけとし別に、八龍神(現在は下宿上区内に鎮座)を寄居の里に移した。
天保14年(西暦1843年)8月:
−1村1社制により、水戸藩徳川斉昭公(最後の将軍徳川慶喜公の父)の命(命令)で菅谷の2社が廃さる。
天保14年12月:
−神社の創建が水戸藩斉昭公により内諾される。
安政2年(西暦1854年)12月:
−藤田東湖の推挙により、斉昭公が菅谷の神官を決し、現在の宮司の祖先が派遣される。
安政3年3月:
−村人達が斉昭公に陳情し正式に創建遷座を許され、現在地へ社殿建設が開始される。
安政4年1月13日:
−現在の鹿嶋市鹿嶋神宮にて分神霊を授かる。
安政4年1月14日:
−水戸市青柳の神社(今の鹿島香取神社)で19日まで滞在する。
安政4年(西暦1857年)1月19日:
−神官13人を含み数百人の関係者や氏子で分神霊(六角神輿)を挟み、菅谷まで遷宮行列が成され鎮座
される。
安政4年9月:
−拝殿ほか関連施設完成する。
−垣内に、石燈籠が96名により奉納される。
文久2年(西暦1862年):
−三十六歌仙額36面を72人の氏子が奉納する。
明治6年(西暦1873年)4月1日:
−村社に列格さる。
明治40年(西暦1907年)3月8日:
−公費供進指定さる。
昭和4年(西暦1929年):
−茨城45景に指定さる。
昭和25年(西暦1950年):
−「茨城100景」に指定さる。
昭和27年:
−宗教法人「鹿島神社」として登記さる。
平成9年(西暦1997年)5月:
−「三十六歌仙額36面」が町指定有形文化財(市指定有形文化財)となる。
平成16年(西暦2004年)12月:
−「大助ばやし」が町指定無形文化財(市指定無形文化財)となる。
平成19年6月:
−「御鎮座150年式年臨時大祭」及び、各種奉祝行事を執行する。
平成19年8月:
−御鎮座150年を奉祝して、昭和10年以来の大助祭・大祭(おおまつり)を執行する。
平成23年3月:
−11日午後2時47分、東北地方太平洋沖地震発生(東日本大震災)により巨大津波が発生し、岩手県・宮城県・福島県・茨城県・千葉県一部・東京都一部に多大な被害を与える。更に津波により福島原発で6炉の内3炉の建屋水素爆発発生(計4炉で放射能拡散事故発生)。被害が拡大する。地震津波により2万余人が命を絶たれる。
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