***** 写 真 で 送 る 鹿 島 神 社 歴 史 館 *****


●社殿風景:大正5年(K.横須賀氏提供)
−当時は、天水釜と石灯籠がまだ奉納されていないため、すっきりした感じで写っています。
 右上は、鹿島大神様の遷座に際し、お乗りになられた六角神輿(まれ)です。

●宝物など:大正5年(K.横須賀氏提供)
−御本殿内に納められていた宝物類が宮司宅で
、遷座以来初めて一般公開されました。


●鷺内の風流山車:大正5年(K.横須賀氏提供)
−神社から各町内へ帰る途中の、田圃に囲まれた道路(神社前の通り)でしょうか?。後続には、3台の屋台が見えます。

●東組の風流山車:大正5年(K.横須賀氏提供)
−”天の岩戸開き”の一幕をイメージした作り物が乗せられています。


●寄居の屋台:大正5年(K.横須賀氏提供)
−菅谷の山車は、日の丸を付けることが慣わしになっています。屋台には、日の丸を着けている様子がありません。

●仲之内の風流山車:大正5年(K.横須賀氏提供)


●堀之内の風流山車:大正5年(K.横須賀氏提供)

●下宿下の屋台:大正5年(高橋氏提供)
−屋形の正面部分のみ残り、今の山車に取り付けられ、名残りがあります。


●下宿上の屋台:大正5年(K.横須賀氏提供)
−屋台上では、寸劇が上演されています。
ー御鎮座150年奉祝大助祭大祭(おおまつり)に併せ、復元が可能であった屋台を修復し大神様の元に巡行奉納されました。これ以外の地区屋台は、修復困難や消滅しています。

●中宿の風流山車:大正5年(高橋氏提供)


●上之町の屋台:大正5年(K.横須賀氏提供)
−道路の脇には、電柱(電信柱)が見えます。

●薙火式:大正5年(K.横須賀氏提供)
−これから神事を迎えようとする様子は、現在と変わらないように見えます。


●拝殿屋根葺替竣工奉告祭で撮影:昭和2年
−拝殿屋根が、伝統の木羽(栗材で15px20p・厚さ1p程の板)葺きで、葺き替えられました。

●初代天水釜奉納式:昭和4年4月15日
−氏子総代様方が奉納しました。


●お目覚め(御扉開祭):昭和7年1月7日
−1月7日は、鹿島大神様のお目覚めの日です。今でも、1月1日から1月6日の間は御本殿を開けることはありません。

●中宿の屋台:昭和10年
−その後、火災により屋台、山車ともに焼失しました。


●上之町では大祭記念撮影:昭和10年(T.笹嶋氏提供)

●石灯籠記念奉納(起源2600年):昭和15年4月
−大当番・総代・世話人など19名で奉納されました。また翌年、石造狛犬をY.舩橋氏が、米寿記念奉納されました。


●大助祭中祭(ちょうちん祭):昭和28年

●大助祭(ちょうちん祭):昭和31年
−神社前の通り(道路)です。当時は、まだ舗装もされていませんでした。(通称:湊街道)


●大助祭(ちょうちん祭):昭和32年

●拝殿屋根葺替竣工奉告祭で撮影:昭和35年5月
−拝殿屋根が、伝統の木羽(栗材で15px20p・厚さ1p程の板)葺きで、葺き替えられました。
−木羽葺での葺き替えはこの時が最後となり、この後の葺き替え時期には銅板葺きに換えられました。(創建百年記念事業の一環で、屋根葺き替え・幣殿増築・神饌所・神輿安置所などの事業が行われました。又、有志50数人によって天水釜一対が奉納されました。)


●御戸開祭:昭和36年1月7日
−この年の当番は、仲之内でした。

●新嘗祭(献穀祭):昭和37年11月23日
−この年の当番は、中宿でした。


●旧戸窓の拝殿:平成8年
−今と一見変わりませんが、戸窓が木製板張りの跳ね上げ式のため、戸を開けないと暗い中でご祈祷のこともありました(特に寒い時期)。


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●現在の拝殿風景
−拝殿周りの戸窓は、木製の跳ね上げ戸からガラスの引き戸に替わり、内部への採光も有り明るくなりました。